ドラゴンクエストシリーズのテリーは過去から何も学ばなかったのですか?
10年前からの疑問をぶちまけてみます。ドラゴンクエストモンスターズ1・2(以下DQM)&ドラゴンクエストⅥ(以下DQ6)に登場する青い閃光(笑)テリーの過去についてです。
テリーの少年時代はDQM1ですが、未来の自分と会うというイベントで、旅の扉の奥、テリー?(十中八九テリーの未来の姿)と戦い、その後デュランとのバトルがありました。
戦に勝つとテリー?から「剣を使わなくともお前は最強のファイターだ」「俺のようにはなるな」「何があっても姉さんを大切にな!」と警告されますが、DQ6のテリーは、力に溺れ、デュランのパシリになり、主人公一行に牙をむくようになります。
質問ですが、テリーは過去から何も学ばなかったのでしょうか?
自分の衝撃的な未来を見て、テリー?のようにはなるまいとは思えなかったのでしょうか?
(自分はDQ6のを先にプレイしていたので、DQM1のイベントを見るとやりきれない思いになりました)
まずシステム的なことを言うと、「ドラクエ6」と「モンスターズ」では、6のほうが先に作られている、ということ。
6でのテリー人気に後押しされる形で、モンスターズの主人公に採用されただけで、6以前、または6と同時進行で作られていたわけではありません。
つまり、既に発売されてしまっている「過去」を変えることはどうやっても不可能なわけです。
またストーリー的に言うと、テリー少年が、大人テリーとの出会いで「いい子」になっていたら、そもそも「未来の自分に会って諭される」ということ自体がなくなる訳ですよね?
でも、現実にはそういう「出会い」が存在する・・・何故でしょう?
テリー少年も頑張ったに違いないんですよ。
でも、子どもにとっては現実はそんなに甘くないです。
理不尽な力にねじ伏せられ、大切なねえさんを奪われ、自分の命すら危うい状況の中で、テリー少年が「ちから」を求めたのは無理が無いことだと思います。
そんな風に「未来の自分」に警告された通りの大人になったテリーの前に、幼いころの自分が現れます。
テリーは思います。「今度は変えられるかも知れない」と。
あの時のように戦いを挑み、自分の愚かな姿を見せ、「俺のようになるな」と伝えるのです。
いつの日か必ず運命は変わる、変えられると信じて。
結論テリーはアホ
以上!!
それが運命って物だ。
避けたくても避けられない、
学んだことを活かせたくても、
目の前にある運命には逆らえず、
幼少期に見た未来を変えることが出来ない、
変えられたとしても根本は変わらない、
少し難しいけどそれが運命だ。
だからテリーは学んだけど運命に逆らえずに過ちを犯した、
しかし、運命を変えることの出来る存在である勇者やミレーユらによって
最後はデスタムーアを倒す。
大分くどくなりましたが
これが僕の考えです。
No comments:
Post a Comment